2013年8月24日土曜日

1. 戦う旅人さん


 風の丘にいらっしゃる風の主は、今日もゆったりと生きていらっしゃる。もちろん風の主のなかには、ときにせっかちな性格のかたや、暴力的な性格のかたもいないわけではないが、ここの丘の風の主は、そういったこととは無縁な、のんびりとしたタイプの主さんなのだった。

 風の主と暮らす小さなリルは、ときどき不安におびえながら、救いを求めるように空を見上げて思う。この世界は、どこまで続いているのだろう、と。そういうことは、ゆったりした風の主も、かつては同じように思索したものなので、二人はいつも仲良しだ。

 そして、旅人がこの丘にやって来れば、できる限りのもてなしをして、そのかわりに外の話を聞かせてもらう。


「超能力のうわさがあります」
 と、あるときやってきた若い旅人は、聖剣を脇に置き、リルが温め直したトマトスープをスプーンで口に運び、目をふせたまま静かに語り始めた。
「それは人に宿るものか、あるいは人が悟るものか、僕にはわかりません。しかし物質を超越した力は、瞬時にして世界を滅ぼすと言われています」
 リルは、小さな目を精一杯大きく開いて「なんじゃ、そりゃあ」と驚いた。
「悪意あるものが、その力を手にする前に、我々が見つけて、聖なる力を守らねば」
「うん、うん。そうしてください、旅人さま。あなただけが頼りです」
「はい。がんばります。みなさんの幸福は、何より大切なもの。悪しき者たちに、かってな真似はさせません、絶対に」

 その旅人が出て行くと、入れ替わるように、こんどは女の旅人が現れた。彼女は傷ついていたから、風の主は優しくいたわり、リルは薬草を摘んで、飲み薬と塗り薬を作り上げた。
 ベッドに横になった女旅人は、まだ壮絶な闘いの余韻の残る震えた声で、二人に話しかけた。
「すまない。今、東の国では、激しい闘いが行われている」
 リルは目を丸くして「すっごい」とつぶやいた。
「私は敵兵を追っている。最近ここに、剣を持った者が来なかったか?」 
「はい、あなたと入れ替わるように、先ほど旅立たれたかたが一人。聖剣を持ち、聖なる力を守る、とおっしゃっていました」
「やつめ。聖者を名乗る極悪人なのだ。こんな辺境の地まで、愚劣な悪意に染めるつもりか、くそう」
 リルはキョトンとして「悪意ですか?」と質問した。
「ああ、そうだ。やつは、他者を悪と決めつけて、平和を守るとほざき、やりたい放題だ。誰かが止めなければ、この世界は滅びてしまう」
「あの人は、超能力を探している、って言っていましたよ」
「本当か?」
 驚いて前のめりになった女旅人は、しかし傷の痛みに「うっ」とうなり、すぐに姿勢を戻した。
「本当なら、大変なことだ」
「まあまあ。いまは、おやすみになってください。風の主も、あなたを優しくいたわりますので」

 女旅人は、苦みのある薬を口に含んで、目を固く閉じた。やがて痛みは麻痺した。しかし、記憶は癒えない。傷を負った瞬間の絶対的な恐怖だけは、あがないがたい巨石のようにのしかかり続けた。
 そのまま、三日間、彼女は眠った。
 彼女の本当の名前は、夏の午後、だった。

「夏の午後さん、イチゴソースのかかったケーキ、お食べになりますか?」
 と目覚めた彼女に、リルは朗らかに声をかけた。
「ああ……そうですね……何か食べないとまいってしまう」
「よく、おやすみでしたよ。私、こんなに深く眠る人って、初めて見ました。やはり旅は、大変なことなのですね」
「そうだね。それにしても、本当にありがとう。すっかり世話になってしまった」
「いいんです。私たちにできるのは、このくらいのものですから」
 イチゴのすっぱいソースのかかったケーキと、甘いミルクティーを、ゆっくりと口に運びながら、女旅人は、外の世界の過去と、未来についてリルに語った。
「この世界は、いわば一つの入れ物なのだ。とても大きいので、無限のように勘違いしがちだが、けっして無限というわけではない。だからそこには、絶対的な力が、存在する。その力をどう扱い、いさめ、調和をもたらすか、それが我々の主要な課題だった。ところが、調和は、減退している。コマのようなものだ。回転の勢いが減って、ふらふらとブレはじめている」
「じゃあ、また、ググッと回転させれば?」
「ググッと?」
「そう。ね?」
 すると風の主は、深いため息をついて「森の住人たちに、そのような才覚はないものだよ」と声を響かせた。
「森の住人って?」
「リルはまだ知らないんだね。人はみな、森の住人だったのだよ。リルも、祖先はそんな感じさ」
「ふーん。森って、なに?」
「知らないの?」と女旅人は苦笑した。
「知らないよ。なんだか、大きそうなことだけは、わかるけど。夏の午後さんは知っているの?」
「暗くて、少し怖い。しかし空気は、ここと似ているかもしれない」
「きっと、いろんなものが生まれてくる場所なんだね」
 リルの想像に、女旅人は頷いた。
「生まれ、消えていく。リルちゃんも、きっと詳しくなるだろう。旅をすれば、いやおうなく、いろいろなことに詳しくなる」
 しかし小さなリルは肩をすくめて「私は、旅はしないよ」と、すっかり決まっているかのようにあっけらかんと言った。
「なぜ?」
「私には、旅は、よくわからないの。わかろうとして、いろんなお話を聞くようにしているけど、でも、一度も本当にわかったことはないの」
 女旅人は視線を宙に漂わせて「では、私もここ居続けたら、旅を忘れて、幸せになれるかな」と、風の主に語りかけた。
「それは無理だよ。夏の午後さんは、旅人だからね。でも、またおいで。私とリルは、ずっとここにいて、夏の午後さんの帰りを待っているよ」
 するとリルも頷いて「そうだよ、夏の午後さんが、どんなに傷ついて、ぼろぼろになっても、ぜんぜん大丈夫だから。ここで薬を飲んで眠ってしまえば、必ずよくなるよ。だから、遠慮しないでね。いつでも来て、まってるよ、私」
 
 女旅人は、装備を調えた。傷んだ防具を革紐でつくろい、刀を石で研いだ。太い両刃の刀は、何かを切るための道具だった。切って、命を奪う。あるいは動物の腹を割き、人の首をはねることだってあるかもしれない。
 その研ぎ終わった金属の透明な輝きを見たリルは、その輝きが、美しい超能力のように思えたのだった。リルには用はないけれど、輝きがあったことは、なんとなく、少し悲しく、わかったのだった。


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